非常にレアなケースですが抵当権者に相続が開始し家督相続の登記が入っていました。その後も10次に及ぶ相続が開始していました。
どのような登記をするかによって請求の趣旨が変わってきます。調べた限り同様の事例の先例、判例はありませんでした。
請求の趣旨で時効消滅を主張する実質的理由は、登記原因日が時効消滅の起算日=弁済期の翌日になることにより抵当権者の数次の相続登記が不要になることによります。この件では登記原因日である消滅時効日は抵当権者の家督相続日よりも前でした。ひとつだけ余分な家督相続が入ってしまっていたレアなケースになります。
登記は権利変動の経緯を忠実に登記簿に反映させるのが原則です。
抵当権者に合併が開始しているときに、抹消の原因日が合併後の日付の場合、合併による移転の登記を入れてはなりません。合併による抵当権移転登記を省略することは中間省略登記になるからです。
他方、抹消の原因日が合併前の日付であれば承継会社からの抹消をしなければならず合併による移転登記を入れてはなりません。
(登記研究774号86頁)
吸収合併により、吸収合併消滅会社である抵当権者甲会社の権利義務が吸収合併存続会社である乙会社に承継された場合において、その抵当権移転登記と当該吸収合併の効力発生日より前の日を登記原因とする抵当権抹消登記が同時に申請された場合には、合併により抵当権が移転していないことが明らかであることから、この登記をすることはできない。
合併がらみの抵当権抹消は、金融機関再編後司法書士は山のようにしています。上記先例のような登記を出してしまうことは司法書士ならちょっとありえない話です。
それはさておき、同じく包括承継である相続の場合も、抹消原因日が抵当権者の相続の後であれば抵当権者の相続登記を入れなければならないし、抹消原因が抵当権者の相続の前であれば抵当権者の相続登記を入れてはならないということになります。
次に、すでに抵当権移転の付記登記が入ってしまっている場合を検討します。
被担保債権弁済後に譲渡(債権譲渡?)による抵当権移転の付記登記がなされた場合に付昭和40・11・30東京地裁判決があります。
抵当権抹消登記につき、被担保債権弁済後に抵当権の譲渡による付記登記がされた場合には、抵当権設定登記の抹消の登記義務者は譲渡人であり、付記登記の抹消登記義務者は、譲受人である。
昭和38・11・9京都地裁判決も同様と思われます。
ですから、甲から乙に債権譲渡で移転の付記登記がなされているが、債権譲渡前にすでに債務者は甲に弁済をしていたというケースでは、下記①②の各登記を撒き戻し的に抹消していくことになります。
①抵当権移転の付記登記の抹消(登記義務者は付記登記の名義人乙、登記権利者は甲、登記原因は錯誤となるでしょう)
②元の抵当権設定登記の抹消(登記義務者は元々の抵当権の名義人甲、登記権利者は所有者)
本件を弁済とパラレルに考えると、下記①②の各登記を撒き戻し的に抹消できるのは間違いがありません。ただ、すでに弁済によって消滅している債権を譲渡することは無効ですし、附従性により消滅している抵当権の移転登記は、まさに錯誤によりなされた登記ということができますが、後日時効援用され法の擬制によってその効果が起算日に遡ったのであって有効に承継されたものを錯誤というのは若干違和感があります。
①抵当権移転の付記登記の抹消(登記義務者は付記登記の名義人亡乙の相続人丙、登記権利者は亡甲、登記原因は錯誤以外にはないでしょう)
②元の抵当権設定登記の抹消(登記義務者は元々の抵当権の名義人亡甲相続人丙、登記権利者は所有者)
判決に基づく抵当権抹消登記は以下のようになります。
2の1
1番付記1号抵当権移転登記抹消
原 因 錯誤
権 利 者 (被代位者) 亡甲
上記相続人 丙
代 位 者 所有者(原告)
代位原因 明治〇〇年〇月〇日時効消滅の抵当権抹消登記請求権
義 務 者 亡乙相続人丙
添付書類
登記原因証明情報(判決正本・確定証明書) 代位原因証書
相続証明情報 代理権限証書
※相続登記の抹消登記の基本形は共同申請、更に代位による登記です。実際には相続人丙の所には相続人がずらーっと並び、判決による登記であっても戸籍謄本を省略することができないのでどさっと戸籍をつけていくことになります。
2の2
1番抵当権抹消
原 因 明治〇〇年〇月〇日時効消滅
権 利 者 所有者(原告)
義 務 者 亡甲相続人 丙
添付書類
登記原因証明情報(判決正本・確定証明書)前件添付
相続証明情報 代理権限証書
わたしは登記原因日から形式的に考えて上記の登記以外念頭になかったのですが、書記官から一本の抹消登記が可能なのではないか、という連絡がありました(請求の趣旨を訂正する必要があるのではないかということです)。同業者にも一本の登記が可能である、いや巻き戻し抹消は間違っているという意見さえありました。
一本の抹消登記というのは、甲から乙に抵当権移転の付記登記がなされ(原因は特定承継でも包括承継でも)債務者が乙に弁済した場合、登記義務者を乙として当初の抵当権の抹消登記を申請すれば移転の付記登記は同時に職権で抹消されるというものです。先にも書きましたが、住宅金融公庫の抵当権が住宅支援機構に移転したとか、第一勧銀がりそな銀行に合併したとか司法書士が日常的にやっている登記です。抵当権は確定的に甲から乙に移転され抵当権者が乙になっているからです。
大審昭和7年8月9日判決も、詐害行為取り消しによるものですが、移転登記名義人が義務者になると判示しています。
抵当権登記に付当該権利移転登記の付記登記がなされている場合において、設定行為取り消し(詐害行為取消し)により、右の抵当権に関する登記の抹消については、その登記義務者は、右の移転登記を受けたものであって、設定登記の名義人はこれに該当しない。
カウンター相談登記研究605号
抵当権移転の付記登記の登記名義人に権利が移転し、当初の抵当権設定登記の登記名義人には何らの権利も残っていないことが登記簿上明らかであり、また抹消原因が弁済であるとすると実体上も弁済受領者は移転後の抵当権者であり(略)移転後の登記名義人を登記義務者にすることにより、抵当権移転登記のみならず、抵当権設定登記も抹消することができる。
そして、抹消原因が解除、解約、放棄等であっても、消滅の効果が遡及するかどうかはそれぞれに違いがあるとしても、いったん債権譲渡等により確定的に抵当権の移転を受けた以上は抹消の当事者は移転後の抵当権者がなるとかんがえてよいはずです。
加藤新太郎著「要件事実の考え方と実務」平成14年民事法研究会
X所有の不動産にAのために設定された抵当権がYに譲渡され、Aのためになされた抵当権設定登記につき、Yに対する権利移転の附記登記(不動産登記法134条)がなされている場合の被告は誰になるであろうか。XはYを被告として主登記である抵当権設定登記および権利移転の附記登記の抹消を請求できるか、それとも、附記登記の抹消につきY、主登記である抵当権設定登記の抹消につきAを被告とすぺきかが問題になる。判例(最判昭44・4・22民集23巻4号714頁)は、Yのみを被告とすれば足り、Aを被告とすることは要しないとし、登記実務の取扱いも、Xを登記権利者、Yを登記義務者とする共同申請により権利設定登記と附記登記の双方の抹消登記を認めている。
新版 民事訴訟と不動産登記一問一答(テイハン 平成16年5月9日)
問 A所有の不動産について、Bのために抵当権設定の登記がされた後、BからCに対する抵当権移転の付記登記がされている場合において、AがCに対する債務の弁済を理由として抵当権設定の登記の抹消を求める訴えを提起するときは、誰を被告として、どのような請求をすればよいか。
答 BからCに対する抵当権移転の付記登記、Bのための抵当権設定の登記を順次逆巻き式に抹消する必要はなく、Aが登記権利者、Cが登記義務者となって、主登記たる抵当権設定の登記の抹消を申請すればよく、その申請があったときは、抵当権抹消の登記がされた上、抵当権設定の登記及び抵当権移転の付記登記がともに朱抹されることとなるのであり(不登147Ⅰ)、したがって、Aがこれを実現するために訴えを提起するときは、Cを被告として主登記たる抵当権設定の登記の抹消登記手続を請求すれば足り、Cを被告として抵当権移転の付記登記の抹消登記手続を請求し、Bを被告として主登記たる抵当権設定の登記の抹消登記手続を請求しなければならないものではないとするのが最高裁判所の判例であり(最判昭44・4・22民集23・4・.815)、登記実務の取り扱いである。
時効援用の効果が起算日に遡るのは法の擬制にすぎないと考えれば、移転の付記登記を抹消しなくても、当初の設定登記の抹消を申請すれば登記官が移転の付記登記を抹消してくれるようにも思えます。
ですが、よく考えてください。甲から乙に家督相続で抵当権移転の付記登記が入った後も10次に及ぶ相続が開始しています。
時効援用の効果が起算日に遡るのは法の擬制にすぎないと考え、時効援用の相手方が現在の抵当権の名義人である相続人であることを重視するなら、論理的には現在の抵当権者までの10次にも及ぶ相続登記を経由しなければならないことになります。
甲から乙に抵当権が移転し乙に弁済した場合に、甲から乙への抵当権移転登記を省略して抵当権抹消登記を行うことはできません。同様に、甲から乙、乙から丙、丙から丁に抵当権が移転し丁に弁済した場合に、乙⇒丙⇒丁への移転登記を省略することはできないのです。
ですから本件のケースでは、理論的には
①巻き戻し的に2本の抹消登記をするか、
②抵当権者の10次に及ぶ相続登記をすべて入れて元の登記を抹消する
のいずれかということになります。
②の方法を採るなら形式的にとはいえ登記原因が相続の開始以前であることにつき法務局への事前照会が必須でしょうし、相続登記を山ほど入れることは依頼者の利益を著しく害します(手間がかかるということは費用が掛かるということです)。これでは時効消滅を主張し抹消原因日を相続開始前の日付にした意味がまったくなくなります。
そこで、乙の家督相続による抵当権移転の付記登記を抹消もせずに、相続登記をすべて入れることもせずに亡乙名義のまま乙の最終相続人が登記義務者となって元の抵当権設定登記の抹消登記を申請し移転の付記登記を登記官に職権で抹消してもらう、第3の方法が可能か、ということを考えてみます。
この場合、訴訟では被告の手続保障が重視されます。相続人全員を被告とする以上手続保障という観点からは問題はなさそうです。
問題は登記手続きです。このケースで登記先例に出てくるあの「便宜」を使ってもらえるのかということです。
登記研究476号(実例)では、被相続人が生前に売買した不動産につき相続登記が経由されているとき、相続登記を抹消せずに相続人を登記義務者として生前売買の登記原因日付で移転登記ができるとしています。
これは、本来は、相続登記を抹消して被相続人名義に戻したうえで相続人からの申請で生前売買の登記をすべきところ、生前売買の登記義務者がどのみち相続人であるから相続登記を抹消するまでもないから「便宜」認めましょうという考え方なのでしょう。
先にあげた(登記研究774号86頁)の事例
吸収合併により、吸収合併消滅会社である抵当権者甲会社の権利義務が吸収合併存続会社である乙会社に承継された場合において、その抵当権移転登記と当該吸収合併の効力発生日より前の日を登記原因とする抵当権抹消登記が同時に申請された場合には、合併により抵当権が移転していないことが明らかであることから、この登記をすることはできない。
この事例の場合も、同時申請ではなく、すでに合併による移転登記がなされてしまっている事例なら、476号の生前売買とパラレルに考えると、却下されることはないようにも思います。
新日本法規「事例式不動産登記申請マニュアル」
時効期間中に、土地所有者(時効取得される側)に相続が生じ、その相続登記がなされている場合でも、その相続登記を抹消することなく、現在の登記名義人であるCから時効取得者であるB名義への所有権移転登記を申請すればよい。時効取得による所有権の取得は原始取得ではあるが、その登記の方法は所有権移転登記によるものとされ(注1)、また、現在の登記名義人であるCは時効完成時における土地の所有者であり、時効の効力により権利を失うという意味においては当事者そのものという立場にある。したがって、時効による所有権移転の登記原因の日付(平成7年4月1日)は、相続による所有権移転の登記原因(平成9年5月1日)の前ということになるが、これは起算日を登記原因の日付とする(注2,3)という登記実務に従う以上、当然に許容されるべきものということになる。
「現在の登記名義人であるCは時効完成時における土地の所有者であり」という事例です。数次に相続が開始し中間の相続人名義になっているという事例ではないので、これもビンゴではありません。
本件では、巻き戻し抹消をすることなく、一本の抹消登記も可能かもしれません。可能かもしれませんが、登記手続きは先例のない登記をえいやってするわけにはいきません。ましてや登記の前提として訴訟を提起し、訴状には登記手続きを見据えて請求の趣旨を記載していかなければなりません。登記の取下げ、裁判のやり直しなどできません。
抵当権の移転登記の抹消の登録免許税は1筆1000円です。原則通り巻き戻し抹消することに依頼者の不利益は何もありません。
むしろ、「便宜」の登記が可能か照会をかけてまでする必要があるとは思えません。
登記先例で「便宜認める」という判断が下されるのは、論理的でない登記が出されてきたときのあくまで救済措置ですから。