契約書に本人が自分で署名することの大切さ、意外と理解されていません。
せっかく本人の自宅へ本人確認に行ったのに売主側の司法書士が息子に代筆させたということがありました。持参した代理権限証書に「代筆の件」と書き加えてご本人に自署で署名を、と、こそっとお願いしたらその司法書士に「出すぎだ!!」と激おこされたことがあります。
(そんなに本人確認本人確認というならあんたがしろと言われて取引欠席の高齢の母親の本人確認に休日に無償で行ってそんな目にあいました。)
二段の推定っていうのがあります。
一段目
・文書に本人の印鑑が押印してある → 本人の意思に基づいて押印されたものと推定する。(最判昭和 39・5・12)
二段目
・本人の意思のもとに押印された文書 → 文書が真正に作成されたものであると推定される。
(民事訴訟法228条4項「私文書は,本人又はその代理人の署名 又は押印があるときは,真正に成立したものと推定する。」)
後日の証拠力としては、重要な書類は実印を押印しているので実印さえ押印してあればと思いがちですが、先ほどの例でも実印は容易に家族が押せます。
むしろ自署は、訴訟になってからの話しではなく、争いを防止する効果があると考えます。言い換えれば、自署でなければ争いを誘発するということです。
ずいぶん前のはなしです。
債務者会社から根抵当権設定登記を急がされて債権者のところに行く時間がなく、債務者会社の従業員に債権者の署名押印を貰ってくるよう登記書類を預けたことがありました。
ところが、仕事中で手が濡れているからと債権者に言われ債務者会社の従業員が代筆したことが後日分かりました。
債務者会社が他の債権者から架空の根抵当権を設定したという訴訟を提起されたからです。訴状には、債権者の筆跡が本人のものではないと書いてありました。
根抵当権は被担保債権がゼロでも設定はできます。だけど、債務者会社から担保設定を依頼されると、架空の担保設定ではないかと疑うぐらいには私も世間を知っています。だからこそ借用書を確認して、登記申請前に債権者に電話して登記の内容、本人確認、登記申請依頼意思確認をしました。
しかし、わざわざ債権者のところに出向きながらまさか代筆していたとは。
本人の自署でなかったから訴訟を誘発したのでしょう。
まだ弁護士さんとの職域争いがシビアでなかったころ本人訴訟支援で地裁の傍聴席に座っていたら、珍しい裁判が目の前で繰り広げられていました。高齢の女性と女性の弁護士さんでした。
銀行借入れの連帯保証人になった覚えはない、その半ビラの署名は他の書類から切り抜いて根抵当権設定契約書に張り付けたものだ、という主張でした。たしかに銀行も昔はかなりずさんなことをしてました。だけど、いくらなんでも切り貼りはしないでしょう。
思うに、連帯保証人として高額の弁済請求をされたら、自署でも反ビラの紙を見たら、きっと切り貼りしたんだ!って思いたくなるんじゃないでしょうか?
せっかく自署でも反ビラの紙に自署っていうのはまずいです。
本人の記憶というのはあいまいです。
他人の字は筆跡鑑定しても判然としませんが、自分が書いた字は一目でわかります。
自分の字じゃなかったら、仮に代筆を頼んだとしても、そんな契約した覚えはないと言い出しかねません。
最近、売買代金が相殺という取引がありました。領収書に、〇〇の土地の売買代金として。ただし〇〇債務金〇〇円と相殺 と但し書きを本人に書いてくださいって言ったのに、ええやろええやろと同行者に書かしてました。
売買代金を相殺するなら契約書にもきちんと相殺を記載する、領収書にもキチンと記載するとことの重要性がまったくわかっていません。
これは私はかかわっていませんが、金融屋さんが貸金と債務者の不動産の売買代金を相殺したら債務者から架空の売買だと訴訟を起こされ敗訴してしまいました。金融屋さん、頭から湯気を出さんばかりに怒っていました。
売買契約書にも領収書にも相殺の記載がなく、しかも領収書は金融屋さんが代筆していました。
契約も登記も金融屋さんが自分でしたのです。
かように代筆は争いを誘発するのです。
予防司法が司法書士の役割です。
司法書士が自書でって言ったら、ええやろええやろ違います、つべこべ言わずに自書してください。