相続させる遺言があっても相続人全員で異なる内容の遺産分割協議がなされることがあります。
遺言書が遺留分を配慮してなかったり不動産の利用状況と整合性が無かったり税金対策などが理由なのでしょう。
例えば遺言書で妻Aに相続させるとあるのを遺産分割協議で長男Bが取得するような場合です。
この場合にどのような登記をすべきかについて下記の二つの考えがあります。
(1)遺言書に基づきAへの相続登記を入れてから交換や贈与を原因とするBへの移転登記という2本の登記をすべき
(2)遺産分割協議に基づきBへの相続登記1本をすべき
(1)は、平成3年香川判決の相続させる遺言による即時権利移転効を前提に理論に忠実、形式に忠実な考えと言えるでしょう。
(2)は、相続させる遺言であっても受益相続人による遺言の利益の放棄は可能であり利益を放棄すれば当該財産は遺産に組み込まれ遺産分割協議の対象になるという理解によります。
平成3年香川判決のおさらいです。
「遺言書において特定の遺産を特定の相続人に「相続させる」趣旨の遺言者の意思が表明されている場合,・・・遺言書の記載から,その趣旨が遺贈であることが明らかであるか又は遺贈と解すべき特段の事情がない限り,・・・正に同条(注:民法908条)にいう遺産の分割の方法を定めた遺言であり,他の共同相続人も右の遺言に拘束され,これと異なる遺産分割の協議,さらには審判もなし得ないのであるから,このような遺言にあっては,遺言者の意思に合致するものとして,遺産の一部である当該遺産を当該相続人に帰属させる遺産の一部の分割がなされたのと同様の遺産の承継関係を生ぜしめるものであり,当該遺言において相続による承継を当該相続人の受諾の意思表示にかからせたなどの特段の事情のない限り,何らの行為を要せずして,被相続人の死亡の時(遺言の効力の生じた時)に直ちに当該遺産が当該相続人に相続により承継されるものと解すべきである。」
この香川判決を前提として遺言書と異なる遺産分割協議について判示した判決があります。
さいたま地方裁判所 平成14年2月7日判決
特定の不動産を特定の相続人に「相続させる」旨の遺言がなされた場合には,当該遺言において相続による承継を当該相続人の受諾の意思表示にかからせたなどの特段の事情のない限り,何らの行為を要せずして,被相続人の死亡の時(遺言の効力の生じた時)に直ちに当該不動産は当該相続人に相続により承継される。
そのような遺言がなされた場合の遺産分割の協議又は審判においては、当該遺産の承継を参酌して残余の遺産の分割がされることはいうまでもないとしても、当該遺産については、上記の協議又は審判を経る余地はない。以上が判例の趣旨である(最判平成3年4月19日第2小法廷判決・民集45巻4号477頁参照)。しかしながら,このような遺言をする被相続人(遺言者)の通常の意思は,相続をめぐって相続人間に無用な紛争が生ずることを避けることにあるから,これと異なる内容の遺産分割が全相続人によって協議されたとしても,直ちに被相続人の意思に反するとはいえない。被相続人が遺言でこれと異なる遺産分割を禁じている等の事情があれば格別,そうでなければ,被相続人による拘束を全相続人にまで及ぼす必要はなく,むしろ全相続人の意思が一致するなら,遺産を承継する当事者たる相続人間の意思を尊重することが妥当である。法的には,一旦は遺言内容に沿った遺産の帰属が決まるものではあるが,このような遺産分割は,相続人間における当該遺産の贈与や交換を含む混合契約と解することが可能であるし,その効果についても通常の遺産分割と同様の取り扱いを認めることが実態に即して簡明である。また従前から遺言があっても,全相続人によってこれと異なる遺産分割協議は実際に多く行われていたのであり,ただ事案によって遺産分割協議が難航している実状もあることから,前記判例は,その迅速で妥当な紛争解決を図るという趣旨から,これを不要としたのであって,相続人間において,遺言と異なる遺産分割をすることが一切できず,その遺産分割を無効とする趣旨まで包含していると解することはできないというべきである。
東京地方裁判所平成13年6月28日判決
本件遺言は、前記のとおり、遺産分割方法の指定と解されるが、このように被相続人が、遺言により特定の財産をあげて共同相続人間の遺産の分配を具体的に指示する
という方法でもって相続分の指定を伴う遺産分割方法の指定をし、あわせて原告を遺言執行者に指定した場合には、遺言者は、共同相続人間において遺言者が定めた遺産 分割の方法に反する遺産分割協議をすることを許さず、遺言執行者に遺言者が指定した遺産分割の方法に従った遺産分割の実行を委ねたものと解するのが相当である。
そ して、民法一〇一三条によれば、遺言執行者がある場合には、相続人は、相続財産の処分その他遺言の執行を妨げるべき行為をすることが出来ず、これに違反するような 遺産分割行為は無効と解すべきである。
もっとも、本件遺産分割協議は、分割方法の指定のない財産についての遺産分割の協議と共に、本件土地持分については、夏子が本件遺言によって取得した取得分を相
続人間で贈与ないし交換的に譲渡する旨の合意をしたものと解するのが相当であり、その合意は、遺言執行者の権利義務を定め、相続人による遺言執行を妨げる行為を禁じた民法の規定に何ら抵触するものではなく、私的自治の原則に照らして有効な合意と認めることができる。
藤原勇喜先生は登記研究760号で相続させる遺言の即時権利移転効による登記を入れてから贈与・交換による持分移転登記をすると解説されています。(1)の立場です。
登記手続きでいうと1本目の登記はもちろん遺言書を添付することになります。2本目の登記ですが、遺産分割協議書を添付して贈与又は交換を原因とする移転登記を入れたという実例はあるでしょうか?登記官は遺言書と遺産分割協議書を読み込みそれが贈与に当たるのか交換に当たるのかを読み取ってくれるでしょうか?否でしょう。
とすると別途次のような登記原因証明情報を作成するのでしょうか?
(1)被相続人〇〇は本件不動産を乙に相続させる旨の公正証書遺言を年月日作成した
(2)〇〇の相続人全員は本件不動産を甲が取得する旨の遺産分割協議を年月日成立させた
(3)(2)の遺産分割協議は本件不動産につき乙から甲への贈与が行われたものと評価できる
(4)よって本件不動産の所有権は同日(遺産分割協議日)乙から甲に移転した。
いやこんな登記原因証明情報をつけても、評価できるってなんですの?って登記官から電話かかってきそうです。
じゃあ贈与証書を別途作成しますか?それでは遺産分割協議を成立させた相続人の意思と大きくかけ離れてしまいます。
しかも、国税局のタックスアンサーではせっかく下記のように贈与税は課税しないと回答してくれているのに贈与の登記を入れてしまったら素直に考えて贈与税の課税対象になるのは免れないと思います。
No.4176 遺言書の内容と異なる遺産分割をした場合の相続税と贈与税
[平成26年4月1日現在法令等]
相続人の1人に全部の遺産を与える旨の遺言書がある場合に、相続人全員で遺言書の内容と異なった遺産分割をしたときには、受遺者である相続人が遺贈を事実上放棄し、共同相続人間で遺産分割が行われたとみるのが相当です。したがって、各人の相続税の課税価格は、相続人全員で行われた分割協議の内容によることとなります。
なお、受遺者である相続人から他の相続人に対して贈与があったものとして贈与税が課されることにはなりません。
(相法11の2、民法907、908)
「相続させる」旨の遺言について、判例は、それが原則として「遺産分割方法の指定」(民法908条)に当たるとした上で、その遺言によって不動産の所有権を取得した者は、登記がなくてもその権利を第三者に対抗することができるとしていました(最高裁平成14年6月10日判決等)
しかし、今回の相続法改正により相続させる遺言(改正により「特定財産承継遺言」という名称を与えられました)であっても法定相続分を超える部分は登記をしないと第三者に対抗できないとされました。取引の安全のために即時権利移転効の徹底が修正されたと考えられるのではないでしょうか?
そうすると何が何でも特定財産承継遺言に基づく相続登記を一回入れないとならないという命題も修正されうるのではないかと考えるわけです。
(特定財産に関する遺言の執行)
第1014条 前三条の規定は、遺言が相続財産のうち特定の財産に関する場合には、その財産についてのみ適用する。
2 遺産の分割の方法の指定として遺産に属する特定の財産を共同相続人の一人又は数人に承継させる旨の遺言(以下「特定財産承継遺言」という。)があったときは、遺言執行者は、当該共同相続人が第899条の2第1項に規定する対抗要件を備えるために必要な行為をすることができる。
3 前項の財産が預貯金債権である場合には、遺言執行者は、同項に規定する行為のほか、その預金又は貯金の払戻しの請求及びその預金又は貯金に係る契約の解約の申入れをすることができる。ただし、解約の申入れについては、その預貯金債権の全部が特定財産承継遺言の目的である場合に限る。
4 前二項の規定にかかわらず、被相続人が遺言で別段の意思を表示したときは、その意思に従う。
(共同相続における権利の承継の対抗要件)
第899条の2 相続による権利の承継は、遺産の分割によるものかどうかにかかわらず、次条及び第901条の規定により算定した相続分を超える部分については、登記、登録その他の対抗要件を備えなければ、第三者に対抗することができない。
2 前項の権利が債権である場合において、次条及び第900一901条の規定により算定した相続分を超えて当該債権を承継した共同相続人が当該債権に係る遺言の内容(遺産の分割により当該債権を承継した場合にあっては、当該債権に係る遺産の分割の内容)を明らかにして債務者にその承継の通知をしたときは、共同相続人の全員が債務者に通知をしたものとみなして、同項の規定を適用する。
(2)の相続させる遺言の受益相続人は遺言の利益の放棄ができるという考えは内田恒久さんの「判例による相続・遺言の諸問題」218頁で触れられています。
平成3年香川判決は相続放棄できるとは書いているが遺言の利益の放棄については何ら触れていないのであるから相続させる遺言の利益を享受しないためには相続放棄しかないと考える理由はなく受益相続人は利益の全部または一部を放棄できる。遺言の利益を放棄するとその目的財産は遺産から離脱していないことになり遺産分割の対象となる。すごくざっくりいうとこんな感じです。遺贈の放棄の規定を類推することについても触れられています。
遺言と異なる遺産分割協議を成立させた相続人の意思としては受益相続人が遺言の利益を放棄して遺言を無きものとして遺産分割協議をしたというのがしっくりくるように思います。
これは贈与や交換なんです、と言ってもはあ?となるでしょう。
「相続させる」旨の遺言と異なる遺産分割については下記の先例だけがあります(ほかに出ていますか?私、見落としていますか?)
「相続させる」旨の遺言と異なる遺産分割(登研546号)
○要旨 特定の不動産を「長男A及び2男Bに各2分の1の持分により相続させる。」旨の遺言書とともに、A持分3分の1、B持分3分の2とするA及びB作成に係る遺産分割協議書を添付して、当該持分による相続登記の申請はすることができない。
▽問 共同相続人が数名存するときに、特定不動産を「長男A及び2男Bに各2分の1の持分により相続させる。」旨の遺言がなされましたが、この持分と異なる遺産分割協議(A持分3分の1、B持分3分の2)をA及びBにおいて行った後、右遺言書とともに、この遺産分割協議書を添付して、A持分3分の1、B持分3分の2とする相続登記の申請はできないものと考えますが、いかがでしょうか。
◇答 御意見のとおりと考えます。
これはダメでしょうと思いますが、じゃあ遺言書とA持分3分の1、B持分3分の2とする相続人全員の作成に係る遺産分割協議書を添付して、当該持分による相続登記の申請を出した場合は、通るのか、(2)の考えによると通るということになりますが、実例も先例も目にしたことがありません。
普通、「相続させる」旨の遺言と異なる遺産分割が成立した場合は、司法書士は遺産分割協議書だけを提出して登記を通しているのではないでしょうか?実際に律儀に2本の登記を入れて手数料と印紙代を余分に負担させて当事者の意思にかなっているかはなはだ疑問な贈与や交換の登記を入れるのは躊躇するのが大方でしょう。かといって1本の登記は中間省略登記なのかと悩みたくもない、司法書士としては遺言書の存在は黙っていてほしいと思うわけです。
遺言と異なる遺産分割協議については以前から疑問に思いながら答えが出てなかったのですが、今回初めて依頼がありました。
上に書いたように遺産分割協議書だけを提出できなかったのは、遺産分割協議書の冒頭に遺言書の存在、本件遺産分割協議を成立させた経緯、遺言執行人の同意があることが書かれていたからです。これ自体はとっても正しいです。遺言書の存在を知らずに遺産分割協議をしたとすれば無効になるでしょうし、遺言執行人の同意も法的に必要です。
しかし登記官がこの議論を知っていれば当然、相続させる遺言ではないのか?遺言書の内容は?ということになるでしょう?遺産分割協議書だけを提出するわけにはいかないと考えました。
さいわい不動産については遺言書も遺産分割協議書もともに同じ相続人が取得するとなっています。
結論から言うと遺言書と遺産分割協議書の両方を添付しました。遺産分割協議書を添付したのは、それが相続人間の合意に基づく終局的な紛争解決であったからです。
ただ悩ましかったのは、帰化前の除籍謄本が一部しかなく、遺言書に基づく登記であれば相続人の探索は不要で遺産分割協議書に基づく登記であれば「他に相続人無きことの上申書」が必要なことでした。こういうときはシンプルに遺産分割協議書に基づく登記が相続人の意思であればそれに則った手続きをしようと「他に相続人無きことの上申書」を添付しました。
結局は本件では遺言書でも遺産分割協議でも不動産に関して同じ相続人が取得したので異なる場合についての結論は出ていません。
うーん、モヤモヤがまだ残ったままです。
(令和3年6月1日)